「いつか撮ろう」と思いつつ、「いつでも撮れる」という考えがありました。
ショックでした。
古い物が好きなら、「いつか」はダメですね。
それで、なんだか無性に行きたくなり、行ってきました。
筑前二十一宿のひとつ、唐津街道の“畦町(あぜまち)宿”へ。

畦町宿は「赤間宿と青柳宿の間が距離ありすぎやん」という理由で、
江戸時代に設けられた宿場町ですが、
元々宿泊するためではなく、休憩目的で置かれたので、
御茶屋(大名様が泊まる施設)などはなかったようです。
昔は商家が軒を連ね、にぎわっていたらしいです。
では、東構口があったあたりからスタートです。
このあたりに“天満宮”への上り口があり、そこのソテツが凄かったです。
いつからこの町の移り変わりを見ているのか。

“ぎゃらりぃ畦”に興味津津!
しかし、近所の方に尋ねてみると、開いているのは土日だけらしい。

通るたびにいつも気になっていた建物。
出会ったおばあちゃんに尋ねてみると、“郡屋(役人の集会所)”だったらしい。
「庭が広かったから馬などを繋いでた」とのことでした。

住まれてた方も亡くなって、廃墟になって久しいようです。
室内にも植物が蔓延ってました。

左のほうに入って、“祇園社(須賀神社)”へ。

たびたび登場する、この青っぽい写真。
時が止まったかのような、自分だけそこに取り残されたかのような、
気持ちが遠くなっていくような感じが好きで、撮ってしまいます。

杉玉を掲げるところがあるので、酒屋さんかな??と、先ほどのおばあちゃんに尋ねると、
“造り酒屋さん”だったらしく、300年くらい前に建てられたものだそう!

“卯建(うだつ)”もあります。1階屋根と2階屋根の間の小さな壁(防火目的)です。

おばあちゃんによると、この奥2軒分と横2軒分の広さのある、
とても大きな酒屋さんだったみたいです。
取り壊すにも修繕するにもかなりのお金がかかるとか。(家1軒分だそう・・・)
おばあちゃんは低い塀に腰かけて、いろんなことを教えて下さいました。
説明の合間に何度も「昔は良かったんやけどねぇ。今はもう・・・。」とおっしゃってました。
酒屋、醤油屋、呉服屋などなど、とにかくいろんなお店があったそうです。
今は売地も目立ち、新しい建物も増え、廃墟もあったりですが、
少しでも、できる限り、昔の姿や伝統行事が残せていったら良いなぁと思いました。
“バンコ(腰かけ)”のある建物。(おばあちゃんが呉服屋だったと言ってたのはこれかな??)
左下の斜めになってる板が、留め具を外して足を立てるとベンチのような役割をするそう。

どこかのお宅の納屋の土壁。

ずっと歩くと丁字路になります。
その突き当たりが西構口だったあたりです。
そこには小高くなっている場所があり、“観地山地蔵尊”とありました。
帰ってから調べると、なんとあの悲しい物語で有名な米一丸のお母さんが
生涯を終えた場所で、米一丸親子が祀られているようです。
そこから、町のほうを見下ろす。

丁字路を右のほうへ行くと、県道503号に繋がります。
この風景を見てわかったという方もおられるのではないかな?
写真の左の道が県道503号で、奥に行くとプライムデリカがあります。
(ちなみに県道503号は、赤間から町川原まで、ほぼ唐津街道上にあります。)

この分岐のとこにある標識。 さっびさびやね。

さて、東構口まで引き返します。

畦町宿を出て、少し上ると、“太閤水”があります。
その名の通り、豊臣秀吉が喉を潤した井戸です。

千利休が現地の老人に案内してもらい、秀吉がこの水を気に入って、
往きも帰りもここの水を飲んだそうな。(太閤水は他にも県内にいくつかあります。)

宿場町を歩きながら地元の年配の方のお話を聞くのは、やっぱり良いなー。
今回も充実してました!
次はどこの宿場町に行くかなー?
# by yuiaztat | 2011-11-10 11:22 | 廃墟・鉄道・団地・道路・ダム | Trackback | Comments(7)


















































































































